バッシング
良くも悪くも、ちょっと突出すると必ずバッシングってあるわけで、
バッシングを受けたことがないなら相手にされていない、ということだ。
バッシングの意図は星の数、ある。
すべてが敵ではなく、また、すべてが味方ではない。
それは、ちょっと伸びた芽が風雨にさらされるのと同じで。
それでも好きで止められず伸びていった芽は、やがて太陽の光にも当たって、もっと頑丈になって、大木になっていく。
たまにバッシングにされても続ける(生き続ける)には、
バッシングされた内容を噛みしめ、ヘコんで泣いて怒って、さらに忘れることで自分の栄養にして、立ち上がる自分に最適な方法をいくつも見つけて体得し続けなければならない。
うまくいかないのは悪い癖がついているからだ。
自虐や己の正当化だ。
この癖が直らない限り、今以上の幸福感は得られない。
今のままでいい、と言っても
何もしなければ人生は滑り台だ。
誰もがひとり残らず老い、今と同じようにはいかなくなる。
早め早めに手を打とう。